ひょっとこ家

厄祓いひょっとこ踊り

講師会
  • 講師会では、秋の例大祭&財光寺祭りで毎年入厄を迎える男子たちが奉納する伝統の厄祓いひょっとこ踊り(キツネ・おかめ・ひょっとこ・ほうき踊り)を10月1日から指導しています。
  • 昭和30年、五十猛神社(故)壱岐繁晴宮司が考案して始まった厄祓いひょっとこ踊りは、後を継いだ 現壱岐和史宮司が各踊りを教えていましたが、昭和60年に指導を受けた60ひょっとこ会(入厄)のメンバーの中から声が上がりボランティア有志を募り補助者として手伝うようになり、翌年から講師会が発足し現在に至ります。
    当時は各担当講師が教え子達の体格や踊りを見ながらキツネ・おかめ・ひょっとこ・ほうき踊りを各班ごとに数名指名して踊りを指導していました。
  • 現在二代目の講師会(補助者4名)からは、各踊りキツネ・おかめ・ひょっとこ・ほうき踊りを教え子達自身が選んで踊るようにしています。
  • 講師会の各講師は、練習が始まる前に踊りの教え方がどの講師に聞いても同じ指導になるように打ち合わせをして、教え子たちが混乱しないように分かりやすく、そして自信を持って踊れるようにお手伝いをさせて頂いてます。
  • また、講師会では伝統文化を守るため次世代講師の育成も手掛けています。
    各講師の高齢化もあり昨年から講師会の補助者として数名の教え子たちが協力して頂くようになりました。
    1か月間という長丁場のボランティア活動なので一人の講師を育て上げるまでに数年の時間が必要になりますが、地元愛でこの素晴らしい厄祓いひょっとこ踊りという伝統文化を守り続けてほしいと願っています。
本年度入・中・晴厄
  • 2016年度入厄、平成30年度晴厄 喜愛辰巳会←(リンク有)(きあいたつみかい)
  • 2017年度入厄、平成30年度中厄 財絆深会(たからきしんかい)
  • 2018年度入厄、平成30年度入厄 翔馬縁会(しょうまえにしかい)
ひょっとこ通信 [ひょっとこ通信]では、毎年入厄教え子たちが一致団結して、ひょっとこ踊りを習得していく様子を紹介しています。
教え子たちは毎晩五十猛神社 社務所で1ヶ月間ひよっとこ踊りの練習を重ね習得し、11月2日.3日の秋の例大祭&財光寺祭りでひょっとこ踊りを各地区で奉納披露します。
六十数年歴史と伝統を守ってきた入厄教え子達の奮闘記をつづっていますので是非ご覧になってください。
歴史と伝統 歴史と伝統
日向市財光寺地区では40歳の入厄で、ひょっとこ踊りを奉納し厄を祓う伝統が昭和30年から現在まで受け継がれてきています。
毎年、入厄達は秋祭りの二日間、中厄・晴厄先輩たちの手助けを受けながら各区内家々を練歩き、ひょっとこ踊を披露しますが、その家の災いも一緒に祓う意味で踊るため踊り終わった後、入厄教え子たち全員で作って御祓いを受けた御幣(ごへい)を渡します。
このひょっとこ踊りは奉納厄祓いの神事なので、余興などで踊るひょっとこ踊りと違って、肌を出さず、腰を振らず、中腰状態で肩の動きでコミカルな表情を表現しなければならないので基礎体力が必要になります。
教え子たちは1ヶ月間毎晩練習し体力をつけて、初日朝6時から踊り続け翌日の夜9時に五十猛神社境内へ帰り最後の踊りを披露します。
境内で二日二晩踊り切った教え子たちが各班ごとに披露する最後の勇姿は感動(涙)の一言です!是非ご覧になってください。
3年間の厄落としが終わった後も、各会ごとに踊った仲間たちは還暦を過ぎても仲良く仕事や家族同士の付き合いを続けているもの財光寺特有の伝統です。
歴代人数 歴代人数
ちなみに、昭和30年(三五会:大正4~5生)当時40才から始まった、厄祓いひょっとこ踊りを経験した歴代人数は現在までに2.600名を超えています。
昭和30年当時は終戦後の復興で慌ただしく、楽しみや余興など無かった時代ですので40才同級生が集まり厄祓いひょっとこ踊りをすることで一致団結することによって地元復興に繋がったようです。
また、昭和34年(八年会:大正8~9生)から秋祭りパレードらしき物が始まったようです。
今のような盛大なパレードでは無く、各家々(ほとんど農家)を入厄たちがひょっとこ踊りを披露した後に中厄・晴厄の先輩たちが浴衣着で化粧して踊ったり男が花嫁衣装等を着て地元の人々を楽しませたのが切っ掛けで、現在のパレートの舞踊隊・仮装隊に繋がってきたようです。